たまり の心の日記から 第10話 目覚めの予感

【当時の状況】

ずっと具合が悪かったと言ったら「食事が出来て薬が飲めたら具合悪いって言わないわよ」
とクスクス笑われてしまいました。
体が休みたかったんでしょう、と事も無げに言われてしまいました。

暮れも押し迫り、お正月の過ごし方についていろいろとアドバイスしてもらった日でした。
「年に一度の行事なんだから思いっきり楽しみましょう。お母様と一緒におせちの意味とかを考えながらお重の用意をして、お写真を撮ってくる、これ、宿題にしましょうね!」
と霞々に言われました。

とにかく楽しんだほうがいいと。
自分の好きなものをたくさん選んで飾ろう。
母も、私と一緒にお正月料理を手作りするのは、義務でやるのとは違うから楽しみだとその晩言ってくれました。

こんな私の状態を知りながらも結婚式の招待状を送ってくれる友人がいました。
どうせ出席は無理だよねと霞々に話していたのですが、その日は何とか出席できたのです。

挙式披露宴はおろか、早朝から深夜にかけて、二次会の飾りつけのお手伝いから後片付けまで、不思議なほど活発に動けたのです。
「大勢の人の中でごく普通に一日中居られたんだよ!!」
と興奮しながら伝えると、霞々は優しく微笑んでいました。

霞々はこれまでにも、生まれてきた意味、生きていることは当然ではないということなど、何度もいろいろな形で根気良く話してくれていました。

この間、母に
「何かの時に幸せを感じられることがある。それも私が今生きているからこそなんだね。私を生んでくれてありがとう」
と素直に言えたことを霞々に伝えたら、本当に喜んでくれました。
自分がこういう気持ちになるなんて夢にも思いませんでした。

霞々がこの日にアドバイスしてくれたことは、私の暮らし方についてでした。
「そろそろ今の病人生活は飽きたんじゃないかしら?表向きの夫婦と実際の関係のズレをなくす時がもうすぐ来るんじゃない?」
と明るく言われてしまいました。

それから、今、夫にお金を出してもらって住んでいる状態から、自分で根を張って生きて行こうね、とも言われました。
愛のないお金は要らない。
愛のないお金のもとに住んではいけないって。
だけど、稼いでないのに?何を霞々は言っているのだろう…とも正直言って思っていました。

その質問の霞々の答えは
「お世話になるなら愛のある人にお世話になれば?」
のひとことでした。

どうすればいいんだろう…?

「今後の人生の節目の目安は、節分とか四月とかを目標にして進みましょうね、五月には今とは別の たまり ちゃんでいましょうね」

…ってどういうことだろう…?

休職している間に、同輩にも後輩にも追い越されているのが心配…と言ったら
「留学してると思うのはどうかしら?」
と霞々は言いました。

職場にいたら経験できないことを今、体験している。
心理学の勉強をするために霞々の所へ通っている。
仕事の技術では追い越されてるかもしれないけれど、心理面で成長してると思うのはどうかしら…って。

いい年越しが出来そうだし、いい年を迎えられるに違いないと思い始めていました。
体はまだ着いてきてないけれど心は充実してきている。
今年のうちにこんなに元気な気持ちになれてよかったと思っていました。

【当時を振り返って】

気分は確実に軽くなってきているにも拘らず、何かにつけて自分は病人で、まだ具合が悪いのだ、と、病人として認めてもらいたい私がいました。

ですが、霞々が笑いながら『あっさり否定』を繰り返すうちに、徐々に
「あれ?もしかして平気?まぁそれなら大丈夫なのかな…」
という自己肯定の気持ちが生まれて来ました。

そして、こんなひどい状態でも、一緒に「ありのままの私」を肯定し続けてくれた母に対して感謝の気持ちを感じ、それを伝えられたことは、この長い苦しみの一つの成果だったかもしれません。

「どうして私がこんな辛い目に遭うの…?」
と2年近く思い続けてきた私にとって、自分のことを一瞬でも「幸せだ」と思えたこの頃が、転機の始まりだったように思います。

うつ病になってからの私は、その日はなんとか普通に過ごせても、その翌日から朝起きる気力も萎えて3日間寝込むというのがお決まりのパターンとなっていました。
何かをやり始めても、私の体はいつガス欠になるかわからない、まるでメーターさえもついていない壊れた車のようでした。

そんな毎日を恐る恐る過ごすしかなかった私が、友人の結婚式の翌日には、疲労や脱力感はあっても、昼過ぎには起きられて、近所に買い物に行けたのです。

そして、翌々日においては、午後からは渋谷・原宿に出没していたのです。
友人の結婚式の晩の充実した気持ちのままで、その後を過ごせたことが、初めての私なりの健康な人としての実績となり、ちょっとは自信を持てるようになってきました。

この頃の暮らしは、夫と暮らしていた部屋から早く引っ越したいと思う反面、面倒臭くもあり、その上、うつ病のどの本にも「完治するまでは引越し・離婚など生活環境を変える大きな決断をすべきではない」と書いてあったので、霞々のアドバイスには驚きました。

ただ、確かに夫婦関係の世間体と実情のズレを解消したいと思っていましたし、
「お世話になるなら愛のある人から。愛のない人には世話にならない」
という霞々の提案は
「やっぱり本来はこうあるべきなんだろうな」
と心に響きました。

一方で、その考えを実践した場合、現実的にはどうなってしまうんだろう…と不安が先立っていました。

実際に霞々は私の状態を見極めながら、別の暮らし方の提案を楽しそうにしていました。

そして、戸惑いを感じながらも来年に期待をしている私がいました。

【霞々の想い】

『病名・診断名』と『行動・振る舞い』がお互いにどう作用し合うか、ということを一緒に考えた日々だったと思います。
『うつ病』だから『引越しや離婚など』を慎むべきか、『今の生活環境』を変化させないから『うつ病』がよくならないのか、ということです。

一般論として、この病気の注意すべき大前提が医学書に書かれている方針なのだと思います。
本当にさまざまな世の中のことがケース・バイ・ケースだと思いますし、それだけに霞々は個々のありのままの実態を見ていくという考え方や姿勢が好きなんですね。

常に「本当にそう?」という視点で、私は世界を見ていると思います。

この頃の たまり ちゃんの状態は、自己申告は病人でも『うつ病真っ最中』というよりは、早く良くなりたいという気持ちが勝っていた時期だと感じていました。

引越しや離婚をしない状態のままが彼女の症状を回復に導くのか、逆にこの状況に長く留まっているからこそ『うつ病』のままなのか、ということを大切に考えましょうと勧めています。

たまり ちゃんと一緒にやって行く気もないご主人から、訳の分からぬ生活お手当て金をもらい、薬を飲み続ける日々。

一年半も療養してメドが立たず、ご主人との思い出の新婚家具に囲まれた広い新居で、たったひとりで病人として住み続ける毎日の果てに、霞々は明るい希望のイメージが浮かばなかったのです。

こんな空虚な部屋の空気を吸っているから病気になるんじゃないかしら、こんな世間体だけの夫婦関係に身を置くからややこしくなるんじゃないかしら…と提案しています。
案外簡単な方法で上手くいっちゃうんじゃない?
私には単純な解決方法がひらめいていました。

では、彼女が社会人として身を立て直す時期まで、精神的にも経済的にも誰が たまり ちゃんを支えるのでしょうか。
この私の提案に賛同して下さり、精神論だけではなく超現実的に、彼女の環境を変化させる全てにおいて、強力なサポートをしてくれる人がいなければ、机上の空論でしょう。
たまり ちゃんが不安になり、心配するのも無理は無い話です。

霞々の大切にしていることのひとつに、結局は誰が責任を取るのか、というポイントがあります。

正確に言えば、自分のことは自分でしか責任は取れないのでしょう。
でも人生には不測にも溺れてしまい、自分ではどうしようもない時もあるでしょうし、そんな時に誰が飛び込んで助けるの?命綱のロープを陸で引っ張るのは誰?一瞬のためらいもなく激流の渦の中へ入る人は…?

何万冊の医学書に常識論が書かれていても、著者や常識論が たまり ちゃんを助けてくれる訳では無いと思うのです。
現在『妻』という たまり ちゃんの履歴では、本来その役目はご主人であって欲しいけれど、現実的ではありませんでした。

霞々の心にはある光景が浮かんでいて、今後、具体的にそのアドバイスを勧めていきます。

そしてこの頃には、マッサージも出来るようになった たまり ちゃんへ、女性らしい花のブーケの残り香になるようなブレンドを調合していました。
血色を良くして艶やかなお肌を再生しながら綺麗になるプロセスは、一ヶ月過ぎた頃には目に見えて分かる場合が多いのです。

たまり ちゃんの場合も、特に気にしていた顔の吹き出物や黒ずんだ目の周りのくすみ、隈が薄れて、本人も周囲の人達も気づき、やる気が増していきました。
各場面は少しずつの変化でも、確実に女性としての自信や笑顔が戻って来ていた頃です。

次回予告

第11話 「加速」
ついに『たまり の母の想い』が登場。
当時の母のメモを中心に日記仕立てに。
途方に暮れた長い日々から
どんな想いで娘の劇的な変化を見守っていたのでしょう。
母、娘、霞々の3人の意味は?
そして霞々の意図は?

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