たまり の心の日記から 第4話 長い夜

【当時の状況】

思えば就職以来ずっと仕事に追われていたので、長期休職はその分のお休みだと思って気楽に過ごし始めました。
発病したあたりから急にめざめて大ファンになったSMAPの情報収集の為に、パソコンを買ってインターネットを楽しんだり、雑誌やCD、ビデオを買い込んでは見まくっていました。

ただ、毎日ではないけれども突然怒涛のよう襲ってくるうつ病の症状は、実に耐えがたいものでした。
そして、それを心配する母は毎晩電話をくれました。

通う場所もなくただ自由に過ごすうちに、だんだん身体のサイクルが狂ってきて、睡眠薬を服用するようになり、坑うつ剤の量も徐々に増え、次第に肌が吹き出物だらけになって、人に会っても顔をまじまじとは見られたくない状態となっていきました。

1年半という休職期間のリミットもあと半年、という頃、以前霞々が音楽アドバイザーとして練習に来ていたバンドの友人から改めて霞々のことを紹介されました。

「霞々の個人コンサルティングを受けると体調が良くなるかもしれないよ」という話に「ふーん…そう、ありがとう。考えてみるよ。」とあまり気にとめることなく、数日が過ぎたある晩、電話が鳴ったのでした。
なんと、電話の相手は霞々でした。

【当時を振り返って】

月に一度のペースで夫と会い、状況報告をし合っていましたが、「離婚したら気持ちが吹っ切れてうつ病が治るかもしれない」と、手続きを進めるよう促したにもかかわらず、「稼げない病人を放り出すわけにもいかないし、元気に復職できるようになるまでは婚姻関係を続けて、俺が面倒を見られる立場にしておこう」と取り合ってくれませんでした。

ならばせめて気持ちの整理を、と思っても、何度浮気の理由を聞いてもはっきり答えないまま時が過ぎていきました。

いつまでも埒があかない中、私は「自分なりのストーリーを作って自分を納得させよう。旧姓に戻って新たなスタートを切ったほうがよいのかもしれない」と思い始めるようになりました。

体調を回復させて離婚を成立させ、旧姓に戻って休職のタイムリミットに合わせて復職できれば…とぼんやりとした頭で考えつつ、主治医の指示に従って生活しているにもかかわらずちっとも良くならないのはなぜだろうと思っていました。

そんな中、友人から霞々の名前を久しぶりに聞いたのでした。
「音楽以外にも、カウンセリングのようなことをやっているから、一度行ってみたら」と勧められました。

でも、「私は病気なんだから薬を飲んで良くなるんだ。病気は話をしても良くはならないだろう」と思い込んでいたので、霞々の話をされても効果がイメージできませんでした。
当時、ある宗教の勧誘を受けて話を聞く機会があったばかりで、「話を聞くという行為は自分の思考をコントロールされてしまうことなのでは」と思ったのと、その上、思いのほか料金が高かったので関心を示さなかったのでした。

次回予告

第5話 「霞々からの電話」
思いがけない霞々からの電話。
その後の私を霞々のもとへ行こうと決心させた内容とは…。

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